かける オフィシャルインタビュー

——4月リリースの『OLA!! / ポケット』、そして8月12日リリースのニューシングル『終わらない歌』。この2枚のパッケージに加え、配信限定シングル『かける』のリリースが急きょ決定しました。まず、楽曲の制作スタート時期はいつ頃でしたか?

北川悠仁(以下、北川):いつだろう…。もしかしたら『OLA!!』より前かもしれないですね。前回までの話と重複してしまうかもしれないんですけど、昨年6月頃にプライベート・スタジオを作りまして。そこでシングルとかタイアップとか関係なく、いま自分が書きたいもの、表現したい音とかをツアーの合間につくっていって。アコギの響きや音、構成の実験とかをやっている間にできた曲のひとつですね。つくりはじめたときから手応えはあって。ワンコーラスできたくらいで一度区切ってから、長い期間でツーコーラス、Dメロ…と仕上げていきました。

——岩沢さんはどの段階でこの曲に触れましたか?

岩沢厚治(以下、岩沢):プリプロを経て、アレンジも含めてほぼ今の形が出来上がっている状態でした。ちょうどこの時期、いろいろな曲を同時進行で行っていて。3、4曲くらいだと思うんですけど、そのなかに『OLA!!』や『終わらない歌』も含まれていて。北川からもらったデモ音源や譜面を見て聴きながら、まずは曲が持っている要素を自分なりに拾う作業から始めて。ああ、こういうつくりになっているんだというものを理解してからレコーディングに臨みました。

——今回は『虹』『with you』『ヒカレ』に続く、4度目となる日本生命とのタイアップソングになっています。少し語弊があるかもしれませんが、同じ企業タイアップということで、毎回、同一のテーマながら、どのように曲の方向性やメッセージを絞っていったのでしょうか?

北川:日本生命さんからいただくテーマというのは、希望だったり夢だったり、明るい未来へ向けたメッセージなんです。それをふまえて、今までの過去の作品では、「どうやってその光を強く放つか、希望のメッセージを届けるか」という考えで音づくりや言葉の選び方をしていました。ただ、この『かける』に関しては、光を強くするというよりは、どちらかというと…。昔テレビで、“黒を強調すると色彩が豊かになる”みたいなブームがあったんですけど。要するに、ネガティブな部分だったり、迷いの部分というものを色濃くはっきりと“闇の部分”としてしっかり出すことで、光を強調する感じ。光の出口を小さな穴にして的を絞るイメージで、たくさんの場所から光を出すというより、集約させた強さみたいなものができないかと思ってつくりましたね。

——おっしゃるとおり、過去作品と比べて、全編にわたって葛藤や迷い、極端な言い方をすると“負”の印象が濃くでています。ただ、それがあることによって本当に伝えたいメッセージが際立っているとも思います。

北川:今回は、最初にタイアップベースで曲をつくっていたわけではなかったんです。素直に自分の気持を吐露していく感じだったし、自分が感じている時代性の“もがき”みたいなもの…生きているなかで感じている、人々の葛藤みたいなものを吐き出しました。でもその結果、この曲が完成したときに「もしも日本生命さんからお話がきたら、この曲がいいんじゃないかな」と話していたんですよ。今までと曲のタイプは違うけど、自分ではつくり終わった後にピンときていて。

——現在オンエアされているCMも観ましたが、本当にピッタリで。

北川:そう!狙ってつくったわけではないんだけど、今回もまた映像と音で素晴らしい化学反応を起こせたんじゃないかなと思っています。

——岩沢さんはどのような印象を持ちましたか?

岩沢:まず、日本生命さんのタイアップというものは一旦置いたときに、この曲が持っている要素として、ネガティブではないんだけど、決して底抜けに明るくない曲、という解釈をしましたね。かといって突き放すような曲でもなく。『ヒカレ』くらいから、タイトルにもあるように、リスナーに対して「後はお前たちがなんとかしろよな」という想いが見えてきたかなと感じていて。それは悪い意味ではなく、僕らが「頑張れ!頑張れ!」ということだけが希望の歌ではないということで。あとは曲を聴いた人たちがどう受けとめて、どう歩み出すか。『かける』にはそんな印象を持ちました。

——2番のサビで“生きろ 生きろ 生きろ“というフレーズがあります。とてもシンプルな言葉ながら、人によっては非常に重みのある言葉だと思っています。この言葉をミュージシャンとして世に放つ上での、ご自身の想いや意味はどう捉えていますか?

北川:現代の中で、平和で満たされているんだけど、実は心の崖っぷちにいる人ってたくさんいる気がしていて。そういう人たちに対して、遠回しのメッセージというよりは、直接的な叫びみたいなものを届けたかったという想いはあります。でも、この“生きろ 生きろ 生きろ”というフレーズは、最後まで迷った言葉で。“生きていく”とか“生きていこう”というのはよくあるんだけど、ポップスのなかで“生きろ“という強い言い方が、果たしていいのだろうかと。でも、やっぱりこの歌の“闇と光”を表現するときに、もしくは暗闇から抜け出すためには、これくらいの力がいるんだよっていうメッセージは必要なんじゃないかなと思いました。

岩沢:“生きよう”だったり、『ヒカレ』でいうと“光ればいいな”ではなく、柔らかくない強い言葉を選んでいることに意味があると思っていて。歌詞という意味では、“生きろ”って簡単にかけていい言葉ではないんですよ。北川も言ったとおり、ポップスの中では結構強い言葉で。ただ、もうそういう観念を凌駕しているというか、その言葉を使ってもいい自分たちになっているんじゃないかな、という認識です。言葉が強いから歌いづらい、という気持ちもなく。出てくるべくして出てきた言葉のメッセージだと受けとめていて、僕は驚きませんでしたね。

——非常に勇気がいる選択だったのではないかと思います。

岩沢:歌詞を書くときって、どこかで印象に残る強い言葉がどうしても欲しくなる。だけど、書いている側としては、“お前も頑張れよ”とリスナーから突っ込まれたらすべてが無に帰るというか。「いやいや俺は頑張ってるし。お前が頑張れよ」みたいな。そうならないように、常に自分を問いただすというか。ソングライターの方たちは誰しも思うことだと思うんですけど。ライターさんもそうですよね。こんな自分がこんな高貴な言葉を使っていいのかと悩みながら言葉を選んで。そのうえで、その意味を噛み砕いてから世に出すわけで。今回、歌詞を書いているのは北川ですが、その言葉を出してきたということは、そういう責任感を持ってして出してきたということ。それは百も承知なので、なんの違和感もなかったですね。

——そんな世界観の歌詞のなかで、最後のフレーズがとても印象深かったです。“大きく見えた壁 見下ろせばなんてちっぽけ”。これ、時間軸が変わって、曲を通して描いていた苦しみの期間を越えて、達成できたという意味なんですよね。すごく救いのある最後だと思います。

北川:みんながもがいている時代で、こうしている間も、どこかで迷っている子たちはたくさんいて…。でも、その人たちに最後に見せたい“景色”なんですよね。それは自分が体験したことではあるし―—いまも葛藤や迷いはたくさんあるけれど―—、自分が体験したそのときの景色を伝えることで、なにか迷っている人たちに手を差し伸べられるフレーズになったらいいなと思いました。“生きろ〜”のフレーズを使ってしまったのも、この時代のなかで大丈夫って言い切れない自分がいたんですよ。この先の未来が、万事OKだと安易に言えない。傍観者として、あぐらをかいてみてられない。かといって、軽々と「今の時代はダメだ」というのも違うと思っていて。個人の想いはもちろん含まれているけど、未来になにを残していけるかという、先を見据えたテーマにもなっています。

——今年発表した楽曲のなかでも、より時代性や空気感が色濃くでている作品ですね。

北川:多分この曲が一番、限りなく自分のなかで本質に近いと思う。『OLA!!』や『終わらない歌』は、ある種“フラッグ的要素”を持っていて。みんな、こっちに行くんだぞっていう“フラッグ=旗”を、ゆずとして掲げる意味合いがあって。「かける」は、一個人として、人間として自分の本質に迫っているので、もしかしたら聴いてくれる人のそばに寄り添える曲なんじゃないかなと思います。ただ話しているとおり、言葉だけ切り取ってしまうと、人によっては変なアレルギーを起こしてしまってポップスにならないという気持ちも同時にあって。そこで活躍するのがサウンド面かなと。

——サウンド面では、『OLA!!』や『終わらない歌』とはまた異なるアプローチが展開されています。いちばん最初のデモ段階では、どういったサウンドだったんでしょうか?

北川:ギターと歌と、いくつかハモをつけてはいたんだけど、ベースは弾き語りで、もっとこう…泥臭い、さらにストレートな構成でした。でも、この曲が元々持っている強い熱量みたいなものをどうやったらポップスに変換できるかというのをすごく考えて。自分の情熱でつくった曲ではあるけど、冷静に楽曲を俯瞰してみたときに、いくつか構成を変えてみたり、バンドアレンジがいいんじゃないかなと思いました。そこからさらに突き詰めて、同じバンドアレンジでも、当時僕らが聴いていたロックのサウンドではなく、いまの若いミュージシャンたちが奏でる“淡々とした狂気”みたいな音を、ゆずの曲に注入できないかなと。その具合を探っていくなかで、Dokiくんという新しいミュージシャンに出会い、アレンジの方向性が完全に定まりましたね。

岩沢:久しぶりじゃないですかね。いわゆるこう…一括りにしていいのかわかんないですけど、北川悠仁の書くロック調の曲というか。ここ5年くらいは、あえてそういう燃えたぎるエナジー感を押し隠していたものが、元々ロック好きの人なので、ポロリと出てきたんじゃないですかね。ロックテイストは決して禁止事項ではないし、ゆずでも表現できることだと思うし。今回のアレンジについては、若者たちに向けての中堅のやり方とでもいうんでしょうか。また新しいタイプのサウンドの中に、ゆずとして歌とアコギで参加できることは、とても楽しみでしたね。

——歌や言葉を際立たせる上で、注意していたポイントはありましたか?

北川:もともとが言葉もメロディーも強い曲なので、どうあっても歌は立ってくるなとは思っていて。なので、トラックの中では、ある種の“クールさ”みたいなものを結構入れています。例えばバイオリンでいうと、情緒的に弾いていくというよりは、ループっぽく同じフレーズを何度も繰り返したり。Dokiくんがギタリストなんですけど、歪んでいるギャンギャンした音色というより、もっとクリアな、伸びのあるディレイ感を中心としたものだったし。さらに、この曲にはtofubeatsくんも参加してくれて。彼が持つ独特のダンスミュージックのクールな部分をすごく注入できました。

——ここ数年で前山田健一さんやJINさんなど、数々の新たなコンポーザーとコラボレーションしてきたゆずにとっては、ある種必然のような邂逅とも言えるかもしれませんが、あえてお聞きします。この『かける』で、なぜtofubeatsさんを招いたんでしょうか?

北川:最初にDokiくんが仕上げてきたアレンジを聴かせてもらったときに、すごく良いと思ったんだけど、さらに、もっと良くなる部分も感じていて。特にリズムに関して、Dokiくんのアレンジを支えてくれる、もうひとつなにかがある気がして。それを往年のキヤリアがある人がやるんじゃなくて、若手のコンポーザーにお願いしたいなと。少し話が飛んでしまうんですが、今回の『かける』というタイトルについて、僕の中でダブル…トリプルミーニングと、いくつか意味があって。

——ひらがな表記であることから、そういった意図があるのではないかなとは感じていました。

北川:コインの裏表のようになにかを“賭ける”、走りだす“駆ける”、未来に夢や希望を“架ける”、そしていろんな人が掛け算になっていく“×”というコンセプトがあって。だから制作についても窓口を広く、若いミュージシャンが掛け算のようにどんどん参加できる曲になればいいなと思っていました。そういう意味で、前々から聴いていて、すごく面白いビートをつくっているtofubeatsくんにお願いしました。

——その掛け算の結果、完成した楽曲を改めて聴いて、どういった感想を持ちましたか?

北川:毎回音ができる度にワクワクするというか。自分では思いつかない切り口とか、新たな音が鳴っていくのは、2人組ならではの醍醐味なんじゃないかな。ゆずは、芯はあるけど型はないので。いろんな方とやっていくなかで刺激をもらって、じゃあその上でゆずとしてどんなアプローチができるんだろうということを毎回感じています。それはギターだったり、歌だったり、全体のプロデュースだったり。

——今回のコラボで、最も新鮮に感じたことはなんでしたか?

北川:温度感ですかね。それはすごく違うなと思いました。温度感っていうのは、僕らとは見てきたメディアが違うなと。音楽の聴き方も違う。僕らはライブハウスに行ってCDを買ったり、雑誌を読んだりとかだったけど、今ははじめから配信中心で育ってきたり、ニコ動、YouTube、Twitter…いろんなメディアが登場して。制作にしても、データのやり取りで曲をつくっている。人と一度も会わずに曲ができてしまう子たちがたくさんいて。そういう子たちが持っている音のいい部分を、自分はどんどんゆずに取り入れたいなと思っています。ここからアルバムに向けて、また次の展開を匂わす、感じさせる出会いになったんじゃないかなと思います。

——岩沢さんは、この曲が今後どのような曲として浸透していくと思いますか?

岩沢:うーん…。正直なところ、わかりません!(笑)。それこそ聴いてくれる人に“かける”じゃないですけど、まさにそのとおりだなと。それぞれ、その人の中で生きるんですよ、曲って。日本生命さんの過去の曲だけみても、“この頃はあんなだったな”と僕ら歌う側としてもありますし、聴いている人はもっと想うことがあるんじゃないかな。とても懐かしい曲になるのかもしれないし、『かける』を今後ずっと演奏して欲しい! という曲になるのかもしれないし。そればかりはわからない。ただ、大事な局面で披露する曲になるんじゃないかなとは思っています。乱発できないし、歌うには覚悟がいる。それなりの想いを持って挑まないといけない曲だなと。「じゃあ2曲目はこれで〜」みたいな、簡単に入るようなものではない気はします。コンサートにおける後半の盛り上がりなのか、オープニングなのか、アンコールの最後なのか。そのくらい重い…大事な曲になると思います。

——徐々に楽曲が出揃ってきましたが、先日には今秋ニューアルバムのリリースも発表されました。これまでの制作や楽曲を振り返ったうえで、現時点でどんな内容になると思いますか?

岩沢:気負いがないのかな、きっと。それこそ時間をかけて自然に出てきたものがたくさん入っていて。なおかつ無理のない、無茶して背伸びして書いた曲ではなく。『LAND』や『新世界』、そして北川がスタジオで行ってきた実験を経てのアルバムなので、みんなどうやって捉えてくれるんだろうと。これはネガティブな意見ではなくて、どう捉えてもらってもいいと思うんです。それくらいリスナーに委ねたいものになるんじゃないかな。ただ、ゆずの楽曲レパートリーをきっと増やすであろう曲がたくさん入っているので、アルバムのツアーの、その先が早くも楽しみですね。今後のゆずライブでのニューパートナーというか。また新たなスパイスを使ったステージができると思います。

北川:アルバム制作自体は、昨年スタジオを作った時点からスタートしているんです。今もレコーディングのまっ只中なんですけど、ほとんどの曲の原型は去年のうちからあって。その曲たちの精度をどうやって高めていくかという想いで、一曲一曲、大切につくってきた感じはします。ただ、自由につくってはいたんですけど、本当になんでも思ったようにつくったかというとそうではなくて。どうやったらリスナーのもとに届くのかなということを考えてつくってはいましたね。「かける」もそうなんですけど、<ゆず×個性的なアレンジャー>のつくりだすサウンドをここ数年やってきて。今度はそれに加えて、新しい音色づくりをテーマに…それは生楽器ひとつの録り方も、カルテットだったり、エレキだったりドラムを、自分のスタジオで実験しながらやっていったので、さらに上質なものになっていると思います。聴いたことのないサウンドやメロディー、歌詞がいっぱいある作品になるんじゃないかな。